アタマはいつもフワフワしてる

忘年会がありました。最近また忙しくなり、月曜の有給は自発的に取り辞め。一泊で熱海の温泉につかる。
静岡の事業所のねえちゃんに会えただけで十分でした。芸能人と比べてもまったく引けをとらない、や、勝利。
「ほんときれいですね」
と自然と出て、なんだかスッキリする次第。もういわなしゃあない。男としてどうかと思う。
今度は派遣に出てる会社の忘年会。楽しみです。
最近旅行に行く夢ばかり見る。ナニジンかわからない人ゴミのなかを地図片手にあるいている。東南アジアだとにらんでいる。次は。

I BLEED

最近車に乗るようになって音楽を聴く機会が飛躍的に増えた。このまま行くと半年で過去23年の音楽量を超える計算だ、どんぶりで。ちなみにおれがはじめて買ったCDはJUDY AND MARYのオレンジサンシャイン。小6のおれはYUKIちゃんの胸チラを見てジャケ買いした、それが音楽との出会いだった。出会いというのは何でも不純なものだ。まぁ出会いと言うともう少し早く小3の時で、家にあった北島三郎のカセットテープだろう、「祭」を繰り返し聞いていたもんだ。
最近ナンバーガールを聞き返してみた。昔こやつらのNUM-AMI-DABUTZには衝撃を受けた、狐のお面してなかったらファンになってたかもしれない。まぁおれは基本的に叫ぶ系の歌は好きじゃないので、さらっと聞き流しただけでそれ以上彼らにかかわる気はさらさら無かったのだが、この間ツタヤに行った時おもむろに彼らのベストを手に取っていた。
IGGY POP FUN CLUB、はいから狂い、日常に生きる少女、WAVE OF MUTILATIONは名曲だと思う。NUM-AMI-DABUTZだけを楽しみに参加したROCK IN JAPAN '02 18:45。あぁ、あの時左前の巨乳に気を取られず真剣に聞いていれば、、歌ってたのかな、いやその前に知っておきたかったな。

200年前の赤の他人

miura_e2005-11-12

ハナレグミの新しいアルバムを借りたけど、持ってる曲とだいぶかぶってて残念でした。
ユネスコ世界遺産のひとつである岐阜県白川郷の合掌造り集落へ行ってまいった。昨日の天気予報では雨だったが、雨雲は夜のうちに通り過ぎていき朝日が昇った頃には気持ちのいい天気になってくれた。
初体験の高速道路、前しか気にしなくて良いから楽ですな。気持ちよくとばすおれとつらそうにうなる軽。始めのうちは下から鉄柱かなんか飛び出してこないか心配だった。120キロだすとハンドルがプルプルしだし。
何はともあれ夕方到着。4〜5時間熱唱したおかげで声はもうガラガラ、風邪を押してまで観光にやってきた謎の男と化す。想像以上に観光客でにぎわう集落、まぁよく考えれば当たり前か、世界遺産だもの。合掌造りなど何一つ特別ではないようで観光客の顔ばかりを眺めている500円駐車場の管理人に情報をもらう。
さっさと散策。「〜家」という看板、「一番大きい」など特徴の説明書き。実際住んでいる家もあり、観光者向けに開放している家もあり。
「なんか物足りない、ギューンとこない」
と思いながら歩き回る。団体さんが吸い込まれていく一軒の家へ一緒に吸い込まれてみる。入場料300円払う。家主がカセットテープみたいに家の説明をしだす。中はすっかり展示室ですっきり整頓されていた、仕方ないことだけど、無理やり置かれているような気がして素直に感動できなかった。
暗くなって観光客がいなくなりだしたころ、合掌造りのどっしりした家の障子窓から光が出ていたのが見えた。帰り際に見えたその風景こそおれが見たかったものだった。家はやっぱり家であるときが一番いいな。
帰ってネットで気になったことを調べてみた。いつかはわからないがこんな記事が新聞に載ったらしいので紹介したい。

合掌造りは維持に多くの費用がかかる為60年代にはダムの建設や集団離村でこの辺りの集落が次々と姿を消していったが、この白川村萩町集落は「これ以上先祖から受け継いだ文化遺産をなくしてはいけない」と意識を変え、伝承家屋を守りながら観光立村をする努力をし、とうとう95年に世界文化遺産に登録された。

 しかし高速道路の延長などで交通の便がよくなり観光客が増えて経済が潤う一方、住宅地区への大量の一般者の乗り入れや、観光客が家の中をのぞいたり勝手に入ってくるなど住民のプライバシーが守れなくなった。
 また住民の建物保存への意識は高いが周りの農地はほったらかし。観光に力を入れるあまりにきれいな農村風景が崩れてきている。
 「世界遺産白川郷」と美しい風景は住民の大きな努力と犠牲のうえに成り立っているのである。

 今年11月には白川郷すぐ近くに東海北陸自動車道白川郷インターチェンジが開通し、ますます観光客増加が予想される。どのように世界遺産と住民の生活を守っていくのか今後もたくさんの課題がありそうだ。

実際に人が住んでいるこの手の文化遺産には色々と複雑な悩みがつきもの。何はともあれ観光客としてできることはただ一つ、マナーを守ることでしょう。世界に誇れる風景なのだからやはりミンナで守っていきたいものです。
写真はある土産物屋で出会ったおもちゃ。写真が小さくて伝わらないのが残念だが、赤い衣装に身を包み薄ら笑いを浮かべた男。古い家の物置にありそうなおもちゃだ。チラシの裏のような紙に手書きでこのような説明がされていたので紹介したい。
体操のお兄さん
  電池付です
赤と青をあります
\630

田舎のほうのこの手の観光地には色々と複雑な土産がつきもの。何はともあれ観光客としてできることはただ一つ、シャッターを押すことでしょう。観光地と関係のないものなのだからやはり一度はつっこんでおきたいものです。日本語もめちゃくちゃです。

何もない

昨日の夜、るるぶ.COMをぽけーっとのぞいていた。面白そうな日本を探す。マウスをカチカチ。文化遺産やらを紹介しているサイトにたどり着く。割と近くによさげな景色を発見。合掌造りの集落が岐阜にあるらしい。
今日。10時起床。天気がよい。布団を干す。月曜から一切の妥協を許さず散らかしてきた部屋を掃除。あと洗濯。朝飯12時。いつものように遅めの出発。岐阜行こ。
国道1号を2時間下ったころ後悔しだす。もうすぐ4時というのに名古屋までまだ60キロある。日没前に岐阜にたどり着けるばずがない。「3時間で名古屋に行けた」と言うなぞの記憶を頭から消去。
5時過ぎ。もう真っ暗。日も短くなったもんだ。名古屋まで20キロ、帰りたいな。帰ろう。

お疲れ様でした

テーブルが寒そうにしてたのでコタツを出した。朝はもうすっかり冬。
なにはともあれ新しいパソコンが始動しました。まだ音は出ないけど超サクサク動いて気分がいい。画面もおっきい。しかし残念ながらすることがない。

極細セガール

耳たぶの付け根がずっと痛かった。夕方ごろ水で患部を流してみた、しみて痛かったがその後痛みは消えていった。朝風呂に入ったときよく石鹸の泡を流さないで残っていたのだろうと思う。意外と人の皮膚は弱い。もう23年も操縦しているこの体のことだが、まだまだ新たに気付くことがあるものだ。
わかってないと言えば自分のこともそうで、最近は自分がどうしたいのかよくわからなくなることがある。後悔して、ちっちゃい人間だなあ、と自分に文句を言ったりする。
今この地にいる唯一の友達がまたよくわからない人だから余計ややこしい。俺は彼のよくわからない言動はコミュニケーション力の不足からきていると最近感じている。
そいつはパソコンが得意で、先日パソコンを作ってもらった。3万6千円払い、品を頂いた。俺は彼に注文をしたとき「一緒にパーツを探そう」と言っていた。メンテナンスの為に構造を少しでも知っときたかったし、何よりも探すのが楽しそうだったから。しかしその数日後、いつパーツ探し始めるのか気になっていた俺に彼は「パソコンできたから、取りに来て」と言った。なんとも無機質な対応で人付き合いが面倒なのかと感じざるを得なかった。うそでも「ごめん、オークションで安くて良いの見つかったから先に買っちゃった」とか付け加えればまた違うのだが。
またそのパソコンが不安定で彼に修理を頼んだのだが、なかなか直らず、何が気に食わないのか言わんと修理途中で帰ってしまう。「大体直った、これで大丈夫のはず」と言い残し逃げるように去っていく彼、その後取り残された俺が動作確認すると案の定まだ調子が悪い。「人事だからって適当にして帰るなと」文句を言おうと電話すると留守電につながる。それが3日ほど続く。小さいことでもイライラしてくる。
その3日目と言うのが昨日で、もう我慢できんと思ってることをメールで言ってやった。酒の席でしか言えないようなことを。すると数時間後やつから電話があった、拍子抜けするほど素直な対応だった。なんか妙に嬉しかったり。
パソコンをよく見れば、彼がどうにかパソコンを正常動作させようと持ってきた私物のパーツがちらほら。俺は俺で子供っぽい彼奴についつい親父みたいな口調になっていた気がする。
難しいですよ。
今日は1000円床屋へ行き、混んでいましたが、40分待つことにしました。入り口の札が「closed」になってましたよと店員さんにつげ、親切で「open」にしてあげて、店員さんは「すみません、どうも」って笑ってましたけども、よくよく考えると、今日は何の理由か店員がその人一人だけで、とても忙しそうにしていて、昼飯なんて食う暇なく客は入るし、恐らくあえて、間違った振りして「closed」にしていたのだろうと。その後私は注文より2㎝程も短く前髪を切らました、その予感は確信に変わりました。
難しいですよ。

なんかさかな

ますおさんも番組中は言わないが車が欲しいのだ。誰だって我慢しているのだ。
今日も失敗を犯し、やや落ち込んで家路。夜飯を買いにコープに寄る。半額になった寿司弁当が一つ残っていた。
「わーやったー、やったー、やったー」
子供っぽく大げさに喜んでみる。小声で。一見しょうもない行動だが、不思議とこれで気分が一転する。
生まれて初めてイクラを残さず食べた。食いはじめから一粒ずつ減らしていったのがその勝因だった。僕は鳥類の卵は大好きだが魚類の卵は大の嫌いだ。味が変だからだ。そんな僕の箸が、多少の躊躇はあるにせよ、イクラにのびていくようになったのには、大きな理由がやはりある。それは長年にわたる、日本人たちによる催眠術だ。テレビでイクラが出てくると、もれなくその場にいる人間たちがよだれをたらしだす。カメラもアップになる。「うまそー」と遠くで言っている。
うまそうに見えてくる。
イクラに出会うたびにその画を思い出し、イクラに箸がのびていく、ゆっくり一粒口の中に入れ、アホみたいに美味いはずだ、と思いながらプチッとわってみる。やはり変な味が口の中に広がる。そして「まただまされた」と後悔する。これを幾度も繰り返すうちにイクラの味に慣れていったのだ。
このようにして、無意識のうちに少しずつ、常識というものに近づいていっているのだろうか。